100の「いいね!」より1の「コメント」を大切にしたい・・・【世高屋ベース】の広報Man日記。

所さんの【世田谷ベース】に憧れて作った〇〇車仲間の遊び場です(^^♪

看板とは・・・(僕の想い)。

このタイトルが適正なのかは考えるが・・・

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「看板」1枚で何を伝えきれるのか?

今まで撮影取材して来た中で、思い返せば僕は記録として工事現場や気になった看板を撮る事が多いです。

テレビCMなどはわずか数秒の時間で情報を伝える。

 

購買意欲を増す為の商品説明ならその時間で伝えきれないといけない。

 

僕が知人から言われるのは「BLOG読み切るのが大変!」「長文過ぎる!」「疲れる!」と皮肉交じりに冗談かのように言ってくれる。

 

文章能力が無いので結局は画像を多くして誤魔化してはいますが・・・。

 

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看板を通しての情報は大きい。

「看板」は本当に情報源となる事が多いし、その看板製作者の想いが伝わる事を感じます。

 

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シンプルでも手作りでも想いは伝わると思う。

ここに移住した時、初めて見て心が引かれました。

(※れん=さんなのか君なのか年齢不詳が更に興味を湧かせます)。

 

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その地で暮らす方の想い、災害から立ち向かう意志!

 

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想いは伝わるはず!

 

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地域の皆さんへの想いを込めて

 

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時には現実を感じさせられる。

文字で説明されるからだろうか・・・一瞬で理解してシャッターを押してしまう。

 

 

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「何の為に?」と理解が出来る。

その代わり、少しの数値だが自分がこの場で原発事故に寄る放射能で「被ばく」している事も知る事になる。

 

原発事故の直後、地域住民の方が受けた莫大な数値の放射能がこれからどのような障害を起こすのかを考えると正直怖い。

 

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東日本大震災からもうすぐ10年、まだまだ復旧・復興にはお金も時間も必要だと思う。

 

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注意喚起なら伝えれる最低限の文字とデザインで良いと僕は思う。

ただ工事現場で有っても、もっとモチベーションの上がるような看板も有って欲しいし、元気になるような看板も良いと思う。

 

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某大手企業でしょうが・・・意気込みを感じた。

 

そして何より、その現場にふさわしい(言葉が違うかもしれませんが)物、その歳月も考慮しながら考えて欲しい。

 

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昔のような綺麗な海辺を取り戻して欲しいと願う。

 

あくまでも災害に関しての看板への僕の想いです。

 

「難癖を付けている他人」

と先日クレームが入りましたが、それでも構いません。

 

少しでも皆さんに伝える事が僕の使命だと思っております。

 

見たく無い人、関わりたくない人は僕のBLOGもFacebookでの投稿をスルーして下さい。

 

特にFacebookの友達申請に関してもこのような事も考えて

「僕からは一切友達申請は致しません!」と豪語しております。

怪しい方以外は受け付けますし、こちらから友達から外す事も有りません。

 

今回の件で「友達だから」と言うキーワードがたくさん有りましたが、僕が思った本当の友達とは「最後のお別れで見送っていただける関係」ではないか?とこの歳になって感じております。

 

僕の人生で西日本豪雨災害は2度目の不運です。

1度目は20歳代で建てた家を芸予地震で損壊。

2001年(平成13年)芸予地震 現地調査

 

当時の河内町はブルーシートで応急処置していた為か、小高い所にあった我家からは町の全てが青一色に見えました。

我家も瓦が全てダメになり交換等で費用も大変でした。

 

その後も騙し騙しで住み続けて来ましたが基礎地震でやられていたのでドアも開閉出来ないくらい傾いたのでリフォームを検討しましたが・・・

当然資金的に厳しくて町内の競売物件を見つけて入札し運良く手に入れる事が出来ました。

床面積60坪以上の店舗付き住宅(元喫茶店)ですがいつかはゲストハウスをやりたいと思っていたのでリフォーム覚悟(築30数年)で手に入れました。

そこから家族みんなで手を掛けてCafe㉝をOPEN!

https://cafe33hiroshima.wixsite.com/cafe33

 

たくさんの方が来店してくれて話好きの僕は看板娘の『姫』と喜んでおりました。

 

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わずか7年で失った・・・再び自然災害に遭うとは😢

しかし2018 7/7の西日本豪雨災害で全てを狂わされてしまった。

「復帰」を目指して色々手を尽くしたが再開は出来ず災害から1年3ヶ月後閉店。

 

閉店の日にはたくさんの友達が駆けつけてくれたのは本当に嬉しかったし、何よりありがたかった(感謝)。

 

人の人生で言えば「最後のお別れ=お葬式」。

 

お別れが嬉しいと言うのはおかしいけど見届けていただけたんだと思うと感謝すると同時に次に起こす僕の活動に期待してくれているんだと、後押しをしてくれているんだろ感じました。

 

逆にCafe㉝を利用してくれていた方でメールどころか何も声掛けなくお別れしてしまった方達も多く、寂しさを感じました。

 

この時点で僕は「友達の線引き」をしてしまいましたが・・・

 

僕が想う友達とは・・・55歳、残りの人生はお互いが「最後のお別れ」の時に行き来してありがとうと伝える事が出来る関係でありたいと思っております(願望です)。

 

今回の看板の件で改めて思った事を今回のBLOGで書き残しておきます。

 

※気分を害された方、お許し下さい。