現地の方々に迷惑をかけないように・・・
撮影に要する距離は250km前後になると思いますが、通行止め区間が多く迂回路を探さないといけないのでルートを含め、距離も時間も正直不安です。
地図をセット、ルート再確認します。
その前に少しこの地区(羽咋市)での観光をさせていただきます。
実に26年ぶり。
ここは被害が無かったように感じます。
10km位て前の「内灘町」は液状化現象で道路がうねるように酷い状態だったと聞いています。
プチ観光を終えて被災地に入り見た光景は・・・
詳しくは【フォトリポート】にて公開!
(※一部のみ紹介します)。
倒壊寸前の納屋と母屋を見て御主人に「撮影許可」をいただくと、家の中まで見せていただき、震災当時の出来事から家の周りの地面の割れた個所など詳しく説明して下さいました(感謝)。
罹災証明は「全壊判定」で早々に行政(役所)からは対応していただけたそうですが・・・
何から手を付けて良いのかも分からず息子さんも帰省しているのでボチボチと言った感じでした。
落ち込んでおられるかと思いましたが、「家の中はアスレチック場ですから(笑)」とユーモアを折り込みながら話して下さいました。
その言葉通り報道では紹介されていますが、流石に自分の目で直接見るとショックは凄かったです。
撮影した一部ですが、家屋の倒壊や「輪島朝市通り」の約200棟以上の焼けた火災の跡はようやく解体が進んでいますが、それでも7ヶ月過ぎても手が付けれない場所も多く見えました。
市街地外(集落)の家屋の倒壊や崖崩れも更に多く、手付かずのまま・・・
震源場所であり、揺れと津波で最も悲惨な地域だったと感じました。
走行距離888km。能登半島での移動距離は260km以上、迂回路などで本日の距離は延びてしまいました。
任務完了。
ここからは広島まで走りっ放しで帰宅します。
目標8/12(月)17:00帰宅予定。
帰宅後の「旅」の片付けと、【フォトリポート】制作の為の写真チェックと補正に構成が待っているので大変です^^;
(※完成しましたら見ていただけると幸いです)
今回事前確認していた場所でも見落とした所も多く、反省点の多い撮影取材になりました(反省)。
1番感じたのは「建築法」が今の耐震基準に適合どころか少しの揺れでも倒壊してしまう古い家屋は、こんなにも簡単に倒壊するのかと思いました。
道路の沈下や隆起、そして溝(地割れ)などの段差。
見て感じれた事に感謝です。
参考動画☟