クリスマスの思い出が・・・痛い思い出になってしまった。
この数年の事。
クリスマスが来ると良い思い出ではないので僕にとっては最悪日。
昨年のクリスマスの頃は仕事せず自宅で引き籠もっていた息子(四男)の態度にキレて家から追い出し、元嫁は生活費も入れない息子をかばうだけで何もしない(改善)事やお金にルーズな性格が今も治らないどころか増々エスカレートして来た。
最後はまともに食事も与えてくれない悲しい生活をしながらも耐え続けたものの、我慢の限度を超えて・・・
『離婚届』を叩きつけた頃。
一昨年のクリスマスには薄々は感じていた息子の「引き籠もり」が判明した日。
クリスマスの豪華な料理が・・・
「星一徹のちゃぶ台返し」のごとく全てをひっくり返して食べれなかった思い出。
その年の5月には前兆(おかしな行動)が見られたので、精神科のある病院を予約して連れて行き診察を受けさせましたが僕は診察室に入れてもらえず医師からは説明を受けないまま全ての情報は元妻で止まる。
この時には仕事には毎日行っていると言うものの、通勤バイクの走行距離が増えてないし自賠責保険の期日も終えている。
結局は2年間以上無職の引き籠もり生活。
「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)でも有れば対応する事も出来るが、何も言わずに一家の主を騙している状態なのに悪いと思わない母と子にどうする手立ても無い。
我慢しながら今後どうするのか?見て来たが、僕のこれからの人生計画を考えれば完全な予定外の裏切り行為!
60歳の定年を向えると同時に今の住宅の名義を全て息子に譲渡して、元妻の扶養だけは息子に入れると言う条件で今の新築建売住宅を契約し移住した経緯なのに、このままでは定年後も嫁の扶養も住宅の固定資産税などを含む税金も息子の生活費までも払い続けなければならなくなる😢
99ガレージを拠点として起業する為に貯めていたお金も、生活費に回さないと暮らしていけないし、何より活動資金の運転資金も不足すると結局は企業で働き続けないといけなくなる。
何の為にここまで頑張って来たのか?(自問自答の日が続く)
そもそも前の土地から移住したのは「家族の安全」を優先して離れる事に・・・
僕としては幼少期から暮して来た町なので出来ればそのまま建て替えて河内町民でいたかった。
「話せば怒られるから」を理由に僕を騙すなんて、家族なのにねぇ。と悲しい想いから出した答えだから「ぼっちのクリスマス」になってしまった事は仕方ないと思う。
料理、洗濯、掃除と今までやった事が無い僕が必死でやっている。
「やれば出来る!」とどこかの芸人さんが言ってたけど
来年は豪華な手作りのクリスマス料理が出来るように更に頑張りたい。
まだまだ残された問題が有るけどなるようにしかならないし、僕自身が壊れているかもしれない。
59歳のクリスマス、数日後には60歳の大台を迎える事になる。
楽しんでいるのか? 苦しんでいるのか?・・・1年後の事を今、神様に聞きたいよねぇ。
クリスマスなんて大嫌いになった50代後半のおじさんの愚痴でした😅