立場が違うのかもしれませんが・・・
被災者だから許される行為ではないじゃろ!(怒)
何処かの国で見る「暴走」したやつら(※集団略奪行為)と同じ事している。
情けない😢。
そうかと思えば3週間で気持ちが落ち着けるなんて・・・僕は考えられない。
水の確保すら大変な毎日なのに。
1ヶ月後に当時の総理大臣、安倍晋三氏が来た時にはまだまだ先が不安な毎日で「音楽」なんて聴く余裕なんて全くなかった我家。
避難所にペット連れのため入れず、行政の支援も受けれないままに壊れた店舗で寝泊まり。
その上、いい加減な東広島市市職員の言動に従い動いた為に、一時は最悪な結果となり心も折れました。
お役所仕事の無責任さを改めて知った頃だったと記憶しています。
「西日本豪雨災害」から約5年半。
そろそろ行政のいい加減だった事例を詳しく話しても良いかと思っています。
はっきり言って税金の無駄遣いの上、本当に行政から支援してもらわなければいけない方々が泣き寝入りしている事も知って欲しい。
申請後の結果は順番(62番目)だと聞き、急いだものの我が町からは道路が全て寸断されて(2~3日間)復旧後にようやく市役所に辿り着き、臨時受付所で担当者に写真を見せながら現状を報告しながら罹災証明書の申請を完了!。
家屋の倒壊により、橋が破損して孤立する地域の可能性も有るので早急に対応をお願いしました。
その時に応急処置的な事や業者への依頼は各個人で進めるように言われましたが・・・
この緊急時、簡単に業者が見つかるわけでもなく自分で何百個も土嚢を積んで防ぐ事なんて考えられない現状でした。
河川(沼田側)は県の管理の為、破損した擁壁に関しては「広島県土木建築局」の管轄なのでそちらに問い合わせするように指示を受けました。
その足で県土木の支所(西部建設事務所 東広島支所)の方へ現状報告。
担当者が不在の為、後日連絡いただけるとの事。
7/20の日付で「罹災証明書」が届いたものの・・・
「一部損壊」「半壊」すら書かれておらず、無記入だったので理解不能!
再度、現状説明したらすぐに市役所の方が来ました。
市役所で写真を見せたら驚かれたのと同時に、当時の受付担当者に合わせて下さい!
と言うと担当者が誰だったか不明との事。
「どなたが現場検証されたのですか?」と聞けば、実際には見に行っていないと言う。
初めての大災害の為、対応が遅れたと言い訳するも、再調査は他県の応援職員と3人で十数分間ほど家の周りを見て終了。
室内の壁のクラックや傾き度も見ないまま帰って行きました。
制度が変わったらしく、心ある建設業者の方が危険を顧みず請け負っていただき終了済み。
家が崩れる可能性は大でしたが、それでも慎重に丁寧に応急処置をしていただきました。
通常のこのような作業でしたら200~300万円は当たり前ですが、
「これからが本当に大変でしょうから・・・」と半値位(必要経費のみ)でやって下さいました。
当然、制度が変わった事により早く動いた為に費用は自分持ちです。
その後は「全壊判定」と変更されましたので受けれる支援は全て申請しましたが・・・
同時期に『泣き寝入り』された方は実際におられたと考えられます。
正直言って、「一部損壊」「半壊」「全壊」では支援金や義援金は驚くほど異なって来ます。
僕がここで言いたいのは、能登半島地震で被災された方は制度をよく理解し、出来る限り画像や動画で受付担当者に説明する事。
その際には担当者の名刺もしくは連絡が取れるように名前と部署と連絡先を必ず聞いておいて下さい。
市町村役場に関しては以上の事を我家の経験談から紹介しておきます。
これからは河川工事でのトラブルを紹介しますが・・・
相手は「県土木」(広島県土木建築局) 。
ここもお役所仕事で何度も西部建設事務所(東広島支所)に伺った事か・・・😢
話せば長くなりますので次回紹介します。
とにかく後手に回ると言うのか?
対応が遅く被災者側に寄りそう事は無いと言った感じで対応されます。
何度も言い争いになった結果が店舗(Cafe33)再建不可能となったわけです。