隣接した川の「衝撃音」が半端ない!
橋脚に川の流れと共に、上流から大きな石が流れて来てぶっかる音が今でも忘れられない。
「ゴンゴン」とぶっかる音は半端なく大きく、水の勢いを感じさせる。
川からの音と勢いよく降る雨の中で翌朝を迎えて、明るくなるまでが本当に怖かった。
21時頃には県道33号線が川の増水と山からの流水で、路面が見えない位まで達し危険を感じ警察、消防に連絡した記憶が有る。
情報提供と言う事で東広島市の「危機管理課(室)」に連絡を取り通行止め看板を設置してもらった。
2018 7/7災害発生時から東広島市の市職員の対応の不手際などを含めた経験した
約1ヶ月間の【フォトリポート】はこちらから☟
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2161969290749424&type=3
自分も何度も見ては「記憶」を呼び起こし、嫌な想いばかり蘇りますが・・・
結果的にはCafe㉝の再建は出来ず解体し今の【世高屋ベース】(高屋町小谷)に移り住んでしまいました。
中古の店舗兼住宅を購入し、定年前には完全リフォームしてゲストハウス(自営)を夢見てましたが購入からわずか6年で夢は消滅😢。
本当に情けなかったですねぇ。
時間が解決してくれると!言われますが、当時(3年前)は全く信じれる事が出来ませんでした😢
被災して【全壊判定】を受けた自宅で、年末まで台所もお風呂も使えず半年間生活し、仮の補強工事が完了して、大晦日には新しくなった台所でおせちを作りお風呂で湯船に浸かれて一安心したかと思えば・・・
今度は災害から1年を迎えようとした頃に「広島県土木」の計画の不手際もあり河川復旧工事は一旦止まり、結果的には建物解体となる最悪な結果で終わってしまいました。
「命」までは取られる事はありませんでしたが、辛い日々を過ごした事は一生忘れる事は出来ませんよねぇ。
「自然災害だから・・・」とひとくくりにされても精神的に攻撃を受けたのは御役所仕事
の被災者に対する担当部署の対応の無さに加え、復旧&復興のスピードの遅さだと今では理解が出来ます。
今年に入り激怒した出来事もありましたねぇ。
大規模放水により「沼田川」の氾濫を起こした原因の一つである「椋梨ダム管理事務所」のその後の対応は正に被災者への配慮がなされず普通の神経では考えられない行為。
結果的には各担当部署(地元役所から県庁まで)に報告と対応を求めたが・・・
どの部署からも連絡もなく、数日後には撤去されていた。
御役所とはそんなものだと(-_-;) 改めて思った。
最終的に自転車仲間を一人失っただけ。
利用価値の無い「土地」と毎年意味もなく払い続けている「固定資産税」。
いつまで払い続けなければならないのか?
我家にとっては負の遺産です。